6月29日の演奏会では、ハンガリー国立交響楽団を迎えて、カルミナブラーナを演奏します。
この曲は私たちが1989年に第3回ハンガリー演奏旅行を行ったときに演奏した曲でもあります。
そこで、今回は第3回ハンガリー演奏旅行に参加した団員にその時の思い出と、
今回の演奏会にかける意気込みを伺ってみました。

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ハンガリー with ムサシノ

武蔵野合唱団とハンガリーの交流が始まったのは、小林研一郎先生が第1回ブダペスト 国際指揮者コンクールで第1位となられ、その縁で1977年に第1回目のハンガリー演奏旅行を 行ったときからです。 今でこそアマチュア合唱団が海外で演奏をすることは珍しいことではありません。 しかし、当時はアマチュア合唱団が海外の、しかも社会主義国家だった当時の東欧に行くことだけでも 非常に困難なことだったと思います。 こうした大事業が実現できたことは、何よりも小林先生がハンガリーで大活躍されていたおかげです。 しかし、武蔵野合唱団が小林先生を世界の指揮者として世に送り出したい。 武蔵野合唱団が日本を飛び出す文化の担い手になりたいという、大それた夢を失わずに持ち続け、 努力した成果だとも思います。 国際文化交流という活動は武蔵野にとって演奏をすることと同じくらい重要な夢なのです。 その夢があったからこそ、海外演奏旅行が単なる旅行に終わらず、約30年に渡り双方の国で、 数多くのジョイントまたは交歓演奏会を開催するという成果を成し遂げてこられたのです。 私が参加させていただいた第3回ハンガリー演奏旅行は、1989年の7月に行われました。 ハンガリーに入る前、ウィーン滞在中にカラヤンが亡くなり、オペラハウスに黒い半旗が ひるがえっていたのを覚えています。 ブダペストではまず、王宮のそばにあるマチャーシュ教会で日本の合唱曲を演奏しました。 マチャーシュ教会はハンガリーの歴代国王が戴冠式を行ったほどの由緒正しい教会。 演奏会をするための場所ではもちろんありません。ですからでっかいパイプオルガンはあっても、 ピアノは置いていませんでした。 そこで我々はピアノを運び込んで演奏をと考えたのですが、今度はピアノ使用の許可が下りません。 小林先生をはじめ武蔵野合唱団は、「私たちは単に演奏をするために遠い日本からやって来たのではない。 日本とハンガリーの文化交流のためにやってきたのだ。だからこそマチャーシュ教会で日本の歌を 聴いてもらいたい。」と訴えました。 この声が関係者を動かし、演奏会直前にやっと許可が下りて何とか開演にこぎ着けることができました。 マチャーシュ教会の大聖堂に「赤とんぼ」のメロディが響いたとき、私自身が“日本”を感じ、感動し、 ハンガリーの人々に日本の魅力を伝えることができたと思いました。 その後、ブダペストのコングレスザールで演奏した「カルミナブラーナ」では、演奏終了後、拍手が いつまでも鳴り止みませんでした。 小林先生がよくおっしゃられる、「聴衆から贈られるパワーが演奏をより高みへと導いてくれる」という言葉があります。 ハンガリーの聴衆から贈られたそれは、日本で感じられるものとはまったく違うものでした。 それがどんなものなのかうまく説明はできません。音楽を愛するハンガリー文化の「質」のようなものを感じました。 今度の6月の演奏会では、ハンガリー国立フィルが「文化交流」にやってきます。 私は、第3回ハンガリー演奏旅行で、ハンガリーの聴衆がくれたパワーを思い出して、 17年たった今、改めて日本の聴衆に同じ感動を贈りたいと考えています。 それが、今回、私が目指す「文化交流」です。



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